代表よりご挨拶

あなたのちょこっとに寄り添えて
あなたや家族の笑顔を見れたら

『街の保健室ちょこっと』代表小野山 博文

1999年看護助手として病院勤務から医療業界へ。

2006年より看護師、2023年ちょこっと創業。

祖母の死が看護師との出会い

はじめまして。

『街の保健室 ちょこっと』代表の小野山と申します。

少しだけ祖母との思い出にお付き合いください。

幼少期の私は、祖母が大好きで気づけばずっと一緒に過ごした記憶があります。

小学6年生の時、祖母の体を心配した母の一声で一緒に暮らすようになりました。

祖母は男勝りな人で、アニメに例えると天空の城ラピュタ女海賊ドーラのような人。

「男は愛嬌、女は度胸」と口癖のように話していた人です。

そんなある日、祖母が突然入院することになりました。

体調が悪い素振りは全くなかったので、すぐに帰ってくるものだと軽く考えていました。

だけど・・・。

入院中も、いつも私の面会を喜んでくれて優しく語りかけてくれた祖母。

当時私は、反抗期の時期だったこともあり「別に・・・」とそっけない対応しかできませんでした。

今考えると、祖母は私との最期の思い出を作ってくれていたんだと思います。

病院内では、白衣を着た看護婦さんがいつも笑顔で話しかけてくれていました。

献身的に身の回りの世話をされる姿に、他人になぜここまで丁寧に接することができるんだろう?

すごいな。いつもそう感じていました。

ある日の午後、急に担任の先生から家に帰りなさいと言われました。タクシーで母が迎えにきていたんです。

その日、いつも明るいはずの母の険しく辛そうな顔は、今でも強く印象に残っています。

「何かが起こった。」小学生でもそれはわかりました。

祖母の病室に入ると、「よく来てくれたね」と笑顔で私たちに声をかけてくれました。

「なんだ、元気やん・・」と緊張がほぐれました。「お腹すいたやろ、ごはんばたべてきい」といつもの調子です。

ところが・・・。

外食をして病室に戻ると、祖母の部屋の前にお医者さんや看護婦さんたちが慌ただしく出入りしていました。

モニターの音が鳴り響きます。

祖母が気になるけど、母親、叔母、叔父、従妹が狭い病室内にいるため見えない。

ようやく隙間から見えた祖母は、目を開け顔は白く血の気がない状態でした。

私は、一瞬で背筋が凍ったように震え立ち、強烈な恐怖を感じました。

たった1~2時間前まで元気な姿だったのに・・・。

そんな震えて立ち尽くす私に、優しく背中をさすってくれる人がいました。

いつも笑顔で献身的に接してくれる看護婦さんだったのです。

何とも言えない安心感と暖かさに私は救われました。

しばらくすると看護婦さんは、また、祖母のもとに行き主治医の補助をしていました。

さっきまでの優しさとはまた違う、凛とした姿が記憶に残っています。

多くの人に見守られながら、祖母の人生は幕を閉じました。

その瞬間、泣き崩れる母。僕は何もできませんでした。

そんな母を見守ってくれたのは、やはりあの看護婦さんだったのです。

この経験から私は、看護師になる!そう決意しました。

決意を果たすのに時間はかかりましたが・・・。

看護師の世界で感じたこと

看護師になった私は、様々な病院で仕事をすることになります。


患者さんの声、その患者さんを支える家族の様々な問題や不安を間近でみてきました。


特にそれは退院後の生活の中にあったのです。


患者さんと一緒に解決ができるサービスがないかたくさん調べました。

だけど解決できるサービスはなかったのです。


「お役に立てずにすいません」と何度も悔しい思いをしてきました。


そんな時、父が倒れました。私の新たな決意が決まった時期です。

看護師の仕事を始めて十何年経ったある日、父が倒れました。


糖尿病の悪化。この日から人工透析の人生が始まりました。

見る見るうちに衰弱していく父。


定期受診は、母親が付き添いしていました。


タクシーに乗せ、病院について車いすに乗せ、診察を待ちその間トイレ介助もあります。


介助するのは全て医療・福祉の素人である母親。


検査の結果や今後の方針・内服薬などの説明を受けるのも母親。


どうしても仕事でいけない私は、母に医師の説明や検査結果を確認しますが、曖昧な返答しか返ってきません。


受診に付き添うことでやっと。難しい医療用語なんてわかるはずがないですよね。


医師の説明や検査結果を、しっかり理解できるはずもありません。


さらに、私が看護師さんに父親の状況を聞かれた時も

「どんなお食事を食べられていますか?」

「どんなお薬を服用していますか?」


私は看護師なのに父の食事や飲んでいる薬も把握できていなかったのです。


同居していないとはいえ、私が看護師でも、家族のために医療的に支えてあげられてはいないことを痛感しました。


そしてこれは、多くの家族の中で起こっている現象だと理解しました。


ずっと感じていたけど、諦めていたサービス。必要だけどないサービス。


そのサービスを医療・福祉に精通した人が行うことで、本当の意味で最適なサービスを提供できると実感しました。


そして私は、『街の保健室 ちょこっと』をスタートしました。

ちょこっとの考え

現在、国内の平均寿命は男性81.47歳、女性の平均寿命は87.57歳。令和3年調べ)

さらに健康寿命は男性/72.68歳・女性/75.38歳となっています。(令和元年調べ)

 

平均寿命と健康寿命との差は、日常生活に制限のある「不健康な期間」を意味します。

 

疾病予防と健康増進、介護予防などによって、平均寿命と健康寿命の差を短縮することができれば、個人の生活の質の低下を防ぎ、より幸せな人生を過ごすことができますよね。

ちょこっとはその名の通り、大切な利用者様の困ったことを少しでも解決したく名付けました。

何より自分のことを大切に、家族のことも大切にできること。

小さなことですが、健康寿命を延ばす小さくも大きな効果を発揮する活動です

 

その為カルテを作成し自分のことや家族のことを客観的に知り、少しでも自分の体や家族の体を考えるきっかけになればと思っています。

天国にいる祖母に直接恩返しは出来ませんが、一人でも多くの方にあなたがいて良かったと思えるようなサービスを目指して日々精進していきます。

経歴・資格

2000年 介護福祉士取得
2002年 准看護師取得
2006年 看護師取得
2008年 AHA BLSプロバイダー取得
2012年 日本救急医学会認定ICLS・BLSインストラクター取得等

経緯

1999年頃より看護助手として病院勤務からこの世界に飛び込みました
介護施設(介護老人保健施設)
(准看護師時代)
療養型病院
(正看護師時代)
消化器外科・内科
手術室(中央滅菌材料室)
脳外科病棟
ICU・救急外来
上記誤差はありますが各2年ずつ同病院内の移動等7年強
精神科病院 7年強
訪問看護3年強

今も現役で活躍中!

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